この記事は、長宗我部友親さんの「長宗我部」という本を元に書かれています。

「長宗我部」は長宗我部家の歴史を秦家から現在までのわかりやすく書いてある本。

 初版が2010年6月発行という、わりと最近の本。

図書館で借りて来ました。

 

最近、読み終わった本は、長宗我部友親さんが書いた「長宗我部」という本。

この長宗我部友親さん、ニセの長宗我部ではなく、れっきとした長宗我部の子孫。

長宗我部元親の弟(つまり長宗我部国親の子供で、長宗我部盛親のおじさん」の子孫。

まあ、元親の直系ではないので、歴史好きに取っては少し価値が落ちるかもしれない。

家系図はこれ。

 

 

 

 

で、元親の末弟の名前は、親房(名字は島)。

この親房さんの子供が、土佐の山内家に仕えた人。

名前は五郎左衛門。

 

長宗我部盛親さんといえば、去年の大河ドラマ「真田丸」で見せ場が多かった人だが現実の歴史だと結構酷い事(悪いことではなく、無能という感じで)をやっている。

 

まず、長宗我部家が取り潰された関ヶ原の時。

盛親は長宗我部の評定で、徳川家康につく、と決めて家康に使者を出した。

ところが、その使者は途中で石田家の検問が厳しいことを理由に引き返す(これも随分だと思うが)。

盛親はどうしたかというと、家康につくために土佐を出て大阪に向かう(まだ、使者が諦めた事はしらない)

で、検問が厳しかった為に諦めて帰って来た使者に会うと

「こういう結果になったのは仕方がない。後は運にまかせて石田方につこう」

と決める(ひどすぎる)

 

これに対して長宗我部友親さん、海に面しているんだから海路で家康に使者を出せばいいだろ、とかなり怒っている。

まあ、正論。

友親さんの家系は盛親のせいで酷い歴史を送ることになるからね。

 

盛親さんの決定のせいで長宗我部は関ヶ原でなにもしないうちに負け、さらに東軍の追撃を受け、結構な損害を出した。

その後、盛親が土佐に逃げ帰って、元親の三男の親忠を殺してしまい、それを口実に家康により長宗我部家は取り潰される(「長宗我部」によると、家臣が勝手に殺したらしい)。

長宗我部家が取り潰される時も、潰された後に一領具足が山内家に弾圧される話も、長宗我部の上級家臣が他家にさっさと使えるのも、酷い話なので、「長宗我部」を買って読んで欲しい。

 

時は流れて、大阪の陣。

この時、長宗我部盛親は大阪城に入り、大阪5人衆(真田幸村、後藤又兵衛、毛利勝永、明石全登、長宗我部盛親)として活躍。

闘いは豊臣の滅亡で終わるが、長宗我部盛親は脱出するも捕まり、馬に乗せられて見世物のにされて、犯罪者ような扱いをされて死ぬ。

盛親の5人の子供も全員処刑。

ついでに元親の子供で盛親の弟、加藤家に預けられていて何もしてない右近大夫も切腹を命じられて死ぬ。

全部盛親のせい。

 

 

で、長宗我部元親の弟、親房さんの子供の五郎左衛門さんは、大阪の陣の後に土佐に行き、山内家に自分の身分を明かして老舎に閉じ込められる。

四年後に解き放たれて、島姓で山内家に仕える事になる(当然、長宗我部姓は名乗れない。逆賊だしね)。

馬にも乗れない御歩行という、かなり下の身分で召し抱えられた。

五郎左衛門さんは長宗我部の血を残すために我慢して、山内家に仕えたと長宗我部友親さんは書いてある。

 

五郎左衛門さんは43年間山内家に仕えて、香典として銀3枚与えられた。

で、その子供の興助さんは御歩行身分で、禄は2人扶持切米8石という酷い扱い。

その後、明治時代まで山内家に使える話が続く。

著者の長宗我部友親さんも言っているように、まさに長宗我部家の暗黒時代。

詳しい内容は「長宗我部」を読んで欲しい。

 

この本を読んでの感想。

長宗我部国親、元親時代の話は面白い。

盛親が無能すぎる。

山内家はやっぱり糞。